共同建築

こんにちは。今日も暑いですね。曇って入るけれど、ジトジトと湿気の交わったような暑さです。
本当に、、、、あつい、、、

さて、数日前のブログで、ビルディングマップのことについて載せましたがその後、ブログのコメント欄にとりいの鈴木さんから当時の共同建築についていろいろと学びの多いコメントを頂いたので、今回はそちらも掲載したいと思います。



昭和30年代の浜松市の共同建築には大きな任務がありました。
当時はほとんどが木造だったので、大火に備えて不燃建築を帯状に建てて分断するのが目的だったのです。
・田町の現在のゆりの木通り
・鍛治町 伝馬町交差点~浜松駅

この2か所が指定され、3階以上の鉄筋コンクリート造りに限られ、多少の補助金が出ました。
共同建築にして帯状に不燃建築物を作ることで、50年以上市内の中心部に大火が無かったのです。

【共同建築に着手するにあたっての問題】
・建築外観の統一
・高さの統一
・奥行きの統一
・着手時の統一
仮店舗の確保
   などなど


 店舗と住宅を兼ねて建てられたことが多かったが、各自の希望延べ床面積は、間口(これは変えることができない)高さ(ほぼ統一する必要がある)奥行き(統一必須条件)の3要素で決まるので、お互いに譲歩しない限り、参加できなくなることになる。
 
・現在の万年橋駐車場の前身も共同建築であった。話し合いを重ねること5年、高さ3階 奥行き9メートルとし、共同建築の裏側に3.6メートルの共同通路を設けた。
 さらにその奥側に個々の好みで木造建築を建てることにより調整が取られるようになった。
 その結果、結束も強まり、共同建築から25年後に、10階建ての万年橋駐車場ビル建設にステップアップすることができた。
 さらに25年経過し、浜松市が区分所有していた駐車場部分を買い取り、ビルの存続とビル会社の発展に寄与している。




と、なるほど~・・・と、私はただ思ってしまうばかりですが、そう簡単にじゃあやりましょうとはならなかったのがとても良くわかります。万年橋パークビルも以前は共同建築がたてられていたとは・・・・!

同時代建築は、共同建築と似たデザインのものが多いとあるけれど、それはなにか規制があったのか、意識的に各々が美観を意識していいたのか、、、、それはどうなんでしょうね。

当時のことを実感として知っている方に聞くととてもよく伝わってくるもがあります。鈴木さんありがとうございました!!


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17:共同建築 ③

昨日 黒板とキッチンで友野さんのビルディングマップを入手しました。
  マップ面
 田町中央通り(カギヤビル~ヤマハ)と遠鉄電車がきれいなV字になっている。これはイラストではなく地図だと思った。マップの周りには友野画伯のタッチが一面に散らばっていてリアルに伝わってくる。コメントも面白い。
 共同建築の推進地区は「ゆりの木通りと鍛治町通り」と思っていたが、「その両通りに囲まれた区域」だったと訂正する。贅沢をいえばA2(4倍の大きさ)サイズ・黒で見たいと感じた。
  解説面
 1960年代に学生だった私は、都心の道路が鉄板で敷かれ、地下鉄工事 首都高速工事 ビル建て替え etcを見た。再度オリンピックを迎え、再燃しているのは無理からぬことだろう。
 新ローソンで100円コーヒーを試した。これよりありがたいことは「ATM」だ。銀行 JNB ゆうちょ ほとんどが預金できるので、NET販売が多い当店では利用価値がとても高いのだ。隣に金融機関が3店舗できるより便利だ。取り扱い時間が長いから夜間金庫としても使えるのだ。
 編集後記にGマップの話が出てきて納得!東京で生まれた人は方角に無関心だ。地図の上を南に無頓着に画く人も多い。思うに自然と一緒に暮らしていないからであろう。星は見えない太陽にも無関心。「新宿駅には東口 西口 南口があるのになあ~」と思うのだが。

2015.08.04 13:59 鈴木安彦 #- URL[EDIT]
18:コメント掲載

ありがとうございました。

2015.08.04 14:00 鈴木安彦 #- URL[EDIT]
19:

鈴木さん

マップのいろいろありがとうございました。
完成前に鈴木さんと話していたら、また違うものができていたんだろうなと思いました。

A2マップとはなかなか贅沢で、いつか作ってみたいものです!次にどんなマップを作るかも未定ですが、また完成した際にはぜひ見て欲しいです。

ありがとうございました。

2015.08.06 11:41 万年橋パークビル #- URL[EDIT]

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